プロフィール

管理者のプロフィール

ようこそ「村雲まちづくり協議会」のホームページへ(*^∇^*)
管理人の総務企画部次長です。
このHPは、事業のお知らせや報告だけでなく、多くの皆さんに参加して頂きご意見や思いを書き込んで交流して頂くことが目的です。
村雲地域が更に活性化して笑顔賑わう『村雲大家族』がいつも健康で安心で安全な環境作りと微笑ましい人間関係が益々広がりを見せるよう、
村雲の資源を生かした地域づくり、人づくりをそれぞれの立場から考えて、計画、実行、継続、進化して行く事を望みます。

村雲まちづくり協議会は、
・総務企画部会
・文化・スポーツ部会
・環境部会
・福祉部会
・産業部会
からなっています。

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村雲(むらくも)の由来
「村雲」は、篠山市の北東部にあって、国道173号が通っています。
村雲の地は、非常に古く、奈良時代以前は「草上里(くさのかみのさと)」と呼ばれていました。
奈良の明日村から出土した木簡には「旦披国多紀評草上里漢人了口口口(たんばのくにたきのこうりくさのかみのさとあやひとのべ(佐知目))」と、書かれていたのです。
この「草上里」が草上郷(くさのかみのごう)(「和名抄(わみょうしょう))」に記述)となり、その後「草上荘(そう)」となります。
その「草上」の範囲は、奈良期以前は、大芋、村雲、福住、雲部の一部と広範囲であって、その後、大芋荘や小野荘ができ、細分化されていきました。
「村雲」の地名は平安時代の永保(えいほ)元年(1081)に、詠まれている古歌(こか)があります。
「雨の下年へぬ秋ぞなかりける村雲の神のしるしに」と。
その後、平安末期には、京都の九条家の領有となり、その政所(まんどころ)(政庁)が村雲の北条に置かれていました。そのころの漢字には、「叢雲(むらくも)」と書かれています。
江戸時代には、向井組と呼ばれ、県守(あがたもり)や東本荘も村雲でしたので、「村雲の洞光寺(とうこうじ)」と呼ばれていました。
筱見(ささみ)や小田中(こだなか)は、福井組(大芋)村でした。

参考図書:日本地名大辞典(角川書店) 多紀郷土史考(下巻)
中野卓郎 篠山市ホームページより